北アフリカ編 「モロッコ周遊」

目次
 1.カサブランカ  2.エッサウィラ
 3.アガディール  4.タルーダント
 5.羊のいけにえ  6.マラケシュ
 7.オートアトラス越え  8.ワルザザード
 9.トドラ渓谷 10.メルズーカ
11.メクネス 12.フェズ
13.シャウエン 14.アル、ホセイマ
15.メリリャからスペインへ 16.モロッコの感想
1.カサブランカ
 2003年2月5日にモロッコ入国。
 モロッコはすばらしい。もう一度行ってみたい国の一つだ。モロッコというと皆、映画カサブランカを思い出し、白い迷路のような町並みを思い浮かべるらしいが、あれは他の町で撮影されたもので、本当のカサブランカは高層ビルが聳え立ち、多くの車が行きかう近代的なビジネス街だ。
 モロッコの首都はカサブランカから列車で一時間ほど北に行ったラバトで、ここもやはり近代的な官庁街といった感じだ。
 カサブランカとラバと以外のモロッコは、それぞれに個性を持った町で、とても楽しい。
フェズやマラケシュ、メクネスなどは日干し煉瓦でつくられた迷路のような町や市場、皮製品やじゅうたん、貴金属を売る店など、よくTVでも取り上げられているが、喧騒に満ちていて、ものすごくエネルギッシュだ。
 モロッコについては、あまりにも思い出がありすぎ、なにから書いてよいのか迷ってしまう。仕方が無いので行った順番に思い出をたどってみる。
 カサブランカはこの国では観光地ではない。ここで見るべきものは、ハッサン2世モスクだろう。1993年に8年がかりで作られたモロッコ最大の真新しいピカピカのモスクで、8万人もの人が入れるそうで、礼拝堂は言うに及ばず何もかもが巨大だ。地下には大浴場もあり、遠来の信者の疲れを癒せるようになっており、また、外には200mの世界最大のミナレットが立っている。ものすごい広い敷地で、モスク内を一通り見て回るだけで疲れてしまった。このモスクを建てるのに殆どの国民から半強制的にかなりの寄付金を取ったそうで、いまだに財政的にも負担になっているということだ。
 ラバトは首都で大して見るものは無いが、芸術博物館へ行ってみた。女性の衣装などチュニジアと同じスタイルだが、刺繍やビーズ、スパンコールなどで装飾されて、とても華やかだ。
   
2.エッサラウィラ
 エッサウィラは大西洋に面した美しい町だ。カサブランカからバスでエッサウィラに行く途中の300キロは見渡す限り小麦畑や牧場が続いている。牛と羊を混ぜて放牧しているが、幸せそうに生き生きとした緑の草を食べている。モロッコというと砂漠の砂色のイメージだが、地中海岸や大西洋岸は広大な農作地帯になっている。エッサウィラは周辺を城壁で囲まれた町で、北と西は大西洋に面し、荒々しい岩に波が打ち寄せている。また、南は一転して穏やかなビーチがあり、3月になると泳げるそうだ。この町の城砦が以前オーソン、ウェルズが監督した映画「オセロ」の舞台になったそうで、全体的にとても風情がある町で、モロッコ各地から芸術家が集まっている。町中には寄木細工や銀細工、皮のランプシェード、じゅうたん等の様々な土産物屋やカフェ、レストランがあり長期滞在しても飽きることはないだろう。ヨーロッパからもたくさんの観光客が来ていて、一冬過ごしていく人も多いそうだ。この町で知り合ったモロッコ人の若者が、町からバスで30分ほどのカオキという浜辺に連れて行ってくれたが、本当に静かで美しく、2月はじめだというのに何人かの男の子がもう泳いでいた。彼が案内してくれたクスクスがすごくおいしいレストランや荒波が打ち寄せるカフェなど、イスラム風のとてもしゃれた店がある。
 私はモロッコのホテルが大好きだ。決して高いところに泊まったりしないが、雰囲気がとてもよい。殆どのホテルの部屋はブルーを基調とした美しい柄のタイルで床も壁も被われていて、幻想的で美しく、また大きな中庭にはたくさんの樹木が植えられ、朝は野鳥のさえずりを聞きながら、たっぷりのミルクとコーヒー,フランスパン、果物、クリーミーなバターやジャムと朝食がとてもおいしい。ホテル代は朝食込みで平均1500円くらい。毎日突き抜けるような青空で、ギリシャのナフプリオンという町を少し大きくしたような感じで、雰囲気がとてもよく似ている。この町には4日間滞在したが、もっとゆっくりすればよかったと後悔している。
3.アガディール
 エッサウィラからもう少し南のアガディールという町は、やはり大西洋岸に面した美しい遠浅の海辺がある町で、浜辺には数え切れないほどのサーファーたちのキャンピングカーが止まっている。この町は大地震の後町全体を立て替えたそうで、ヨーロッパそのままの大リゾート地だ。
4.タルーダント
 タルーダントはモロッコの内陸部の町で、訪れた時はちょうど犠牲祭の前日だった。これはイスラム社会のお正月のようなもので、町で働いている人たちは皆故郷に帰るので、この時期の移動は大変だ。乗用車、小型トラックなどあらゆる乗り物に人が溢れんばかりに乗って、砂漠地方の故郷を目指して帰る。だから、この3日間ほどは商店も殆ど閉まっているし、ホテルですら食事が出ない。クチという幌つきの馬車に乗り町中を一周してもらったら、この町の旧市街は周囲を全て城壁で囲まれて、広い道路や美しい建物があり、とても落ち着いたいい町だ。途中にまるで植物園のような緑いっぱいのホテルがあり、この町ではこんなホテルでゆっくりすべきかなと思った。
5.羊のいけにえ
 犠牲祭当日は、昨日とは打って変わり静かになり、時々この日のために新調した綺麗な服を着た人が通る。また、道の端には帰るところも身寄りも無い人が座り込んでいる。
 町を歩いていると、たまたま通りかかった家の人が、家においでと招いてくれた。リセの教授の一家で、12人の大家族だ。12時から庭につないでいる羊を殺すというので、見せてもらう事にした。羊は大人3人に押さえつけられ、首の動脈をナイフで一気に切られる。鮮血が滴り落ちるが、切った人が下手くそだったのか、その後羊は10分ほども苦しみもがき、最後に頭部を切断される。そして後ろ足首の皮をはぎ、口から空気を吹き込むと、まるで風船のように体全体がふくらむ。それを木でポンポンとたたき、皮がはがれ易いようにし、足首から徐々にナイフで皮をはがしていく。皮はすっぽりと裏返しにはがれたが、殺されるときに出したウンコにまみれ汚い。丸裸になった羊は腹を裂かれ、内臓を取り出されて、水で内部をきれいに洗われる。羊の全てが食用やその他に利用されるそうだ。日本人が鯨を全て利用するのと同じだと思うが、欧米人は日本の捕鯨やイスラムの生贄にはすごく批判的だ。彼らだって生きるためにどれ程の動物を殺し、無駄にしていることか。
 見ていると気分が悪くなってきたが、「写真を撮れ撮れ」というので、がんばって撮った。そしてお母さんが忙しい中、お茶とビスケットと、クレープを出してくれ、朝からレストランが閉まっていて何も食べてなかったので、すごく空腹で、気分が悪いのもどこへやらパクついてしまった。3時からご馳走を食べるから一緒にと誘われたが、全く見ず知らずの人の家でご馳走になっていいのだろうかと判断に迷う。何かお土産でも持っていけたらと思うが店は全て閉まっているし、結局行っても自分自身が気兼ねしてしまうだろうと思って行かなかった。しかし、こんな時はイスラムの国では遠慮せずにご馳走になってもいいのだそうだ。
 夕方やっと開いたカフェでコーヒーを飲んでいると、人が続々と町に出てきた。皆新調の衣装で、男性は白、女性はなぜかエメラルドグリーンが多い。もともとここの女性はコバルトブルー一色の布を纏い、目から下を黒い布で隠しているのだが。エッサウィラの女性は白一色だった。
 男性同士は犠牲祭の挨拶として,同性同士でホホとホホをくっつけてスリスリして、抱き合う。
この挨拶は握手もしない日本人にはかなり抵抗があり、慣れるまで時間がかかった。
6.マラケシュ
 この町はあまりにも観光化されていて、人間はしつこいし、全て金、金、金の世界だ。そしてただ歩いているだけで「ジャポン、ジャポン」と実にうるさい。欧米人に対して彼らはフレンチだとかアメリカンなんて声をかける事は無い。チュニジアでも私を見ると、「ジャポン、トヨタ、ナカタ(サッカーの中田)」と大声で叫ぶ。そして私がなに人かわからない時は、「ジャポンかコリアンかチーナか」と答えるまでしつこく聞く。あまりのしつこさに、あるとき「どうしてあなたにとって私の国籍が必要なのか」と聞いてやると、「いや、ただ興味があっただけ」と言う。チュニジアで出会った青年協力隊の女性とこの事について話したときの事、「彼らは日本の技術などは素晴らしいが、人間としては日本人を含め東洋人は自分たちより下だと思っているらしい」と言う。私も同じように感じていたので、どうしてそのように思うのだろうと言うと、「協力隊の先輩が何年か前に彼らの学校の歴史の教科書を見せてもらったところ、チュニジアの教科書は全てフランスから直輸入だそうで、その中に(東洋人は劣っている)とはっきり書いてあったそうだ。」と言う。最近の教科書はどうか知らないが、何年か前まではそう書かれており、チュニジア人も日本人を含め東洋人は自分たちより下だと、しっかり人種差別を身に着けているようだ。他の国でも味わった事だが、差別を受けたものは、やはりまた誰かを差別する。
 マラケシュはフナ広場が有名で、夜になるとものすごい数のカバブ屋,ジュース屋などの屋台が出て、空き地では色んなパフォーマンスが行われているが、これは大したこと無い。ここでは博物館が一見の価値がある。建物自体も素晴らしく、主に陶器が展示されているが、モロッコの現代アーティストのパステル画があり、男女の人物画が特に気に入った。モロッコにもこんなに静かな緊張感のある絵を描く人がいるのだと感動した。
 もう一箇所オススメは、デザイナーのサン、ローランの別荘だ。マラケシュの郊外にあり、広い敷地にめずらしいサボテン類や南国の植物の庭園があり、屋内には彼のコレクションが展示されているが、これがすばらしい。木彫り、じゅうたん、装身具など、彼の色彩がここにはある。思わず「ああ、あなたのデザインソースはこのモロッコにあったのね」と納得する。
 また、元王宮のダル、シ、サイトも実にゴージャス。しかしこれらの所へは欧米人はたくさん行っているのに、日本人は私だけだった。マラケシュはフナ広場とメディナだけで充分なのだろうか。
 マラケシュの一歩裏通りに入ると、おしっこの匂いがして耐えられないくらいだ。この国にはフランス人観光客がとても多い。かっての植民地でフランスからはほんの一と飛びで来られるので、まるで自分の裏庭のような感覚なのだと思う。だから彼らもここではとても態度が大きく時には横柄だ。
7.オートアトラス越え
 マラケシュは人間が嫌なので予定より早くワルザザードに向かった。予定していたバスは人がいっぱいになると時間前に出発してしまい、仕方なく次のバスに乗る。すごいオンボロ! 乗客もモロッコ人の中でもかなり下層の人たちで、となりのオヤジも臭い。ワルザザードは富士山より高いアトラス山脈を越えたところにある。ある村にさしかかると、とつぜん「カンラ、カラカラ」という大きな音。この町で祭りでもあるのかと思ったら、バスのホイールが外れ、坂道を転げ落ちる音だった。バスには修理道具も無く、待つこと30分、後から来たトラックに助けてもらい、1時間遅れでやっと出発。こんな事もあるので、時間より早く出発するのねと納得。
 最初はオアシスのようなのどかな風景の中を走るが、1時間半ほどすると、険しい山並みになる。登るほどに雪が積もっている。あたり一面真っ白な険しい山が続き、空の青とのコントラストがすばらしい。道路は雪解け水が川の様に流れ、磨り減ったタイヤでスリップしないかすごく不安だった。ガードレールも殆ど無く、所々に道路の端がわかるように赤い棒が立っているだけ。もしスリップでもしたら、何百メートルも転がり落ちるだろうな。行きかう車も結構多く、スリル満点だが怖かった。
オートアトラスは想像以上の絶景で、ハイライトだけでも3時間ほどのパノラマが続き、見ごたえがある。モロッコでの雪景色なんて思ってもみなかったので、すごく得した気分だった。
8.ワルザザード
 この町の観光局はとても親切で、色んな情報を丁寧に教えてくれた。この町からツアーに加わり、2箇所のカスバと世界遺産になっているアイト、ベン、ハットウに行った。ティフルトウトのカスバはすてきなホテルに改装されていて、値段も安く,泊まればよかったと思った。
ティウロウトのカスバはモロッコ最大のカスバだが、今はもう使われていない。外部は日干し煉瓦だが、内部の床や壁は美しいモザイクやタイルや彫刻で飾られていて、天窓の色ガラスから差し込む光が往時の華やかなキャラバンの光景を偲ばせる。かつては700名ほどの人が生活していたそうだ。
 夕日に映えるアイト、ベン、ハットウは本当に美しい。村の子供のガイドで丘の上に登ると、荒涼とした死の世界だ。丘を降りているとベルベルの音楽が聞こえてくる。近づくとTVの撮影クルーが来ていて、サンセットとベルベルの踊りとラクダにテントという絵に描いたようなベルベルの風景をヤラセで撮っていた。
 この町は砂漠に近いので、昼間は暑いが夜はすごく寒い。毛布を余分にかけて、ヒーターを入れても朝は寒さで目が覚める。
この町にいる日本人を訪ねてみた。彼は先日「地球ポカポカ家族」に出ており、「わー、なつかしい。お元気なんですね。」と一方的な挨拶をしたところだ。彼は青年協力隊としてこの国にやって来て、この地でモロッコ人の女性と結婚し、もう18年もモロッコで暮らしていると言っていたが、生活はとても大変そうだった。この国で独自に生計を立てるのは、国自体が貧しいので本当に大変だと思う。世界を旅していると、現役の協力隊や元協力隊の人と時々出会う。協力隊の初期の人は,その地に住み着いてしまう人が多かったらしく、家庭を持ち根を張って生きている人がいるが、それなりに生活は大変なように感じる。
 この国はチュニジアに比べるとかなり貧しく、メディナ(市場)へ行っても観光客はあまりみやげ物も買わないし、店の人も元気が無く、かわいそうになる。モロッコ人自体はいい人たちだと思うが、貧しさゆえに人を騙したりする言動が悲しくなるときがある。多くの子供たちも充分な教育を受けられないようだが、チュニジアでは教育はすべて無料で受けられるので、殆どの子供が学校に行っているそうだから、今後それは大きな力となり、モロッコとチュニジアには大きな差が出てくると思う。この国の無策をつくづく思う。王国であり、各地に国王の壮大なパレスがあるが、国王はどの程度国政にタッチしているのだろう、また、真剣に国民のことを考えているのだろうか。
9.トドラ渓谷
 ワルザザードのホテルで日本人とオランダ人のカップルに出会い、彼らの車に便乗させてもらって、トドラ渓谷に行く事にした。途中いくつものカスバやバラの村を通ってトドラ渓谷に着いた。何百メートルもある切り立った岩に囲まれた静かな空間。きれいな川が流れ、空気が澄んでいて、ほっとする。夜、巨大な岩の間から星が想いも寄らぬほど間近に見え、星ってこんなにたくさんあったのかと感激した。
10.メルズーカ
 この町はサハラ砂漠への入り口の町だ。少しでも車を止めるとキャメルサファリやホテルの勧誘がすさまじい。ずっとバイクで追いかけてきて勧誘しようとする者もいた。どうしてこれ程しつこいのかと聞くと,このあたりは5年間一滴の雨も降らず、農業をしていた人たちが殆どキャメルドライバー(ラクダ引き)にならざるを得ず、すごい過当競争になってしまったのだそうだ。これも地球温暖化の影響か?
 そういう連中を振り切って前方に進むと、突然月の砂漠のような砂丘が現れた。今まで見たどの砂漠よりきれいだ。砂漠の手前に何軒かのホテルがあり、その中の一軒に決めたが、新しくてサービスも良く、1泊2日のツアーもこのホテルで申し込んだが、とても良かった。ちなみに日本人の母娘が来ていて、一週間のツアーを申し込んだが、あとで聞くと砂漠に行ってからは殆ど動かず、結局近場をぐるりと一周しただけだったと言っていた。ここのサファリツアーは苦情も多いらしく、余程前もって確認しておかないとダメらしい。
 ツアーが始まるまでオアシスに行った。とてもきれいに整備されていて、野菜もたくさん作られている。真っ青な空と暖かい空気と気持ちよい風で眠くなる。
 夕方4時からツアーへ。ラクダにポカポカ乗って楽チンだと思っていたが、すぐに股が痛くなる。ラクダの背中は広いので股裂き状態なのだ。道中は本当に月の砂漠を想わせるような砂丘の連続で、時たまオアシスがある程度だ。無音の世界でラクダ引きのベルベルの歌だけ。周囲全てが巨大な砂丘で、幻想的な世界だ。
 2時間ほどでテントに着き、サンセットを見に砂丘に登る。夕日の沈むのは早く、あっという間に暗くなる。夕食はタジンとミントティー。そしてガイドが歌い演奏するベルベルの歌。満天の星。やはり砂漠はいい。夜半から月が出て、煌々と砂漠を照らす。
 朝は6時に起きて、サンライズを見る。風が強くてすごく寒く、砂が目や口に入るし、足跡がすぐ消えてしまうので怖い。砂嵐の怖さをほんのちょっぴり体験した。
11.メクネス
 メルズーカからミデルトを経由してメクネスに行った。ミデルトはすごく寒い町で、あまりの寒さに一泊で逃げ出した。メクネスまでの道のりは、また砂漠。砂漠の前方からゾクゾクとフランス車のシトロイエンがやってくる。砂漠でラリーをするのだろう。ヨーロッパからはフェリーですぐアフリカに来る事が出来る。何てうらやましい。そして山を越えるときは、あたり一面雪化粧だ。バスの中もすごく寒い。日本の人はアフリカではキリマンジャロの雪しか知らない人が多いが、北アフリカではたくさんの雪が降り、ヨーロッパから多くのスキーヤーがモロッコにやって来る。
 2つの雪山を越えると、まるでヨーロッパの森のような深い木々におおわれた山道が続き、途中のアズルーという町は町中にさまざまな花が咲き誇り町全体が花園のようだった。
 たった2日間で砂漠から全く別世界に来てしまった。メクネスは町の真ん中に大きな王宮があり、旧市街の大部分を占めているが中に入ることはできない。市内から25キロほどのムーレイ、イドリスという町に行ってみた。2つの丘のすごい急斜面にへばりつくように建った白い家の町で「聖者の町」と言われている古都だが、本当に急な階段が続き、地元の子供たちもハアハア言って登っている。水もポリバケツで運び上げており、ここではロバが大活躍だ。美しいがこの町は心臓に悪い。もう2度と行きたくない。
 メクネスのジャメイ博物館はモロッコ各地のじゅうたんが展示されており、地方の特色や技法がわかり、また18〜20世紀にかけてのアンティークじゅうたんで素晴らしいものが多かった。
12.フェズ
 列車でメクネスからフェズに向かう。この列車は二重丸。時間も正確だし、きれいだし速い。小麦畑、牧草地、オリーブ畑、ブドウ畑と見渡す限りので田園を通り、フェズ着。
 フェズはゆったりした道路におしゃれな店やカフェが並ぶ都会だ。みやげ物もマラケシュより作りがずっと良いし洗練されている。しかしこの町は12時〜3時はシエスタを取り、観光局や公営のところは閉まっており、効率的な観光はしづらい。フェズのメディナは大規模で有名だが、あまりにも入り組んでいるため一人で歩くのは難しいと言われ、ガイドを雇ったが、工芸品の店へ次々と連れて行き買わせようとする。要らないと言いつづけるとすごく無愛想になった。結局メディナの中は大して面白くなく、昼からもう一度独りで行ったら充分行けたし、ずっと楽しかった。
   
13.シャウエン
 ここは地中海に近い山の中の町で、のどかな美しい町だ。近年ヨーロッパからの若者が多く訪れるそうで、この町の特徴は料金が全てFIXプライスで、値段交渉が必要ないということだ。カフェ、レストラン、ホテルも他の町の3分の2位の値段で、しかも良心的だ。特に何をするでもなく安心してのんびり滞在できる場所で、カフェに座っていると英語、イタリー語、フランス語、スペイン語がゴチャマゼで聞こえてくる。この町のたった一つの欠点は坂の町だということ。町全てが坂で、毎日がハイキングだった。
14.アル、ホセイマ
 地中海に面した町、アル、ホセイマ。シャウエンから残雪の山を越えると牧草地の中にオリーブ、イチジク、アーモンドの果樹園がいたる所にある。アーモンドの花が濃いピンク、薄いピンクと桜と梅が同時に咲いたような風情で、まるで吉野山のような感じだ。
 アル、ホセイマに着くと、ここは至る所ミモザの黄色。海は春霞にかすんでいる。しかし、ここは観光開発が遅れているのか、ホテルも設備が充分でなく、受け入れ態勢やモロッコ人の意識がまだついていけない状態のようだ。3月上旬だというのに泳いでも寒くない避寒に最適な地なのにもったいないと思う。
15.メリリャからスペイン
 通常モロッコからジブラルタル海峡を越えてスペインへ渡るのはタンジェからだが、タンジェは国境を越えるときに多くの人が騙されたりの被害にあっているというので、モロッコの中の小さなスペイン領メリリャからスペインに行く事にした。ナドールという国境の町でも結構混雑していて、やっとの思いでメリリャに入った。国境を一歩入るとまるで別世界だった。今までの土臭いモロッコから石造りの照明のまぶしい町へたった10分で移動した。国境を越えるだけで、これだけ世界が変わるところも珍しい。
 ユーロをATMで引き出し、バーに行きビールをぐいっと飲み干し、イスラム社会に別れを告げる。しかし、ここはスペイン領、徹底的と言ってもいいほど英語は通じない世界だった。
16.モロッコの感想
 モロッコの一番の特徴は地形だ。私も実際に行ってみるまではモロッコは、カスバのようなゴチャゴチャした町と砂漠のイメージしかなかったが、これはモロッコの一部でしかない。ラバト、カサブランカ、フェズは近代的な都会だし、地中海に面した北部は緑豊かな農耕地帯で、大西洋に面した西部はリゾートが点在する。また中央部はアトラス山脈がそびえ、3000〜4000メートルの富士山より高い山が連なって、その山脈を越えると見渡す限りのサハラ砂漠となる。日本と大して変わらない国土で、これほど変化に富んだ地形の国ってそんなにないのではないか。この地形の変化だけでも旅していてワクワクする。
そして人間は、アラブ人とベルベル人が混在しているが、特に民族問題は起きていない。しかし全体的に貧しく、イスラムの人特有の旅人へのホスピタリティーはあるのだが、貧しい国では共通のことで旅行者を騙すことも度々ある。が、総じて皆親切で、特に男性はちょっとしつこいくらいで、うっとうしく感じることもあった。イスラムの男性はイスラムの女性には気軽に声をかけられないので、外国人にはダメもとで気軽にナンパしようとする。おばちゃんでも、おばあちゃんでも構わないみたい。
 イスラムの男性はよくカフェで水タバコをすいながら、何時間も額をつき合わせて真剣におしゃべりをしているが、一体何をあんなに長々と話しているのだろうと思って聞いてみると、物価についての話題が一番多いそうだ。イスラムではサイフは男性が握り、買い物も男性の仕事なので定価の無いこちらの国では「何がどこでいくらで買えるか」ということは重大問題で、毎日その情報交換に余念がないのだそうだ。定価の無い国での買い物は旅行者にとって大変なのだが、その国の人にとっても大変だったのだ。
 モロッコの旅行中、イラク戦争が始まるかどうかの際どい時期だったので、私が日本人だと知ると「日本はアメリカに同調してイラクを攻撃するのか?」とよく聞かれた。彼らは目下イラクがどうなるかが最大の関心事で、また、モロッコや中東の人たちは結構親日的なので、日本がどのような態度をとるかも大いに関心があったらしい。残念ながら私は政治談議が出来るほどの英語力を持たないので、仕方が無いので「日本は長期間、経済が悪化した状態が続いているので、私個人としてはアメリカに協力して莫大な金を使って欲しくないと思う。」と答えておいたが、一応納得してくれたようだ。
 チュニジアでもそうだが、この国でもかなりの家に大きなパラボラアンテナをつけて、TVで世界のニュースをキャッチしている。多くの人が英語も理解できるし、BBCはホテルでもよく見ることができた。中東の国、特にヨルダン、レバノンでもそうだったが、アルジャジーダが出来る前から北アフリカや中東の人は海外のニュースも見ているし、欧米の意見もイスラム諸国の意見もバランスよく聞いているようで、私が接した人々は決して極端な思想の持ち主ではなかった。
 まあ、いろいろ問題はあるが、この国は地形、人間,気候、文化と、とても魅力にとんだ国で、ぜひもう一度行ってみたい国だ。
(完)