キューバ通信

2018年5月16日~6月5日
神原克収

目次

1 大雨に遭遇 2 大雨被害に遭遇その2
3 キューバの印象 4 キューバの印象2
5 キューバのWi-Fi事情 6 ハバナ市街の荒廃
7 アメリカ大使館

1 大雨に遭遇
 キューバはメキシコの後、10泊の予定で5/25にキューバ入りした。首都ハバナの様子は後日お届けしますが、かなり雨の影響を受けたが一部を除き無事予定通り観光を消化した。そして本日(5/28)からキューバの地方都市を訪れるべく、最初の訪問地トリニダーに向けて出発した。
 ところがハリケーンに伴う大雨で道路が随所で冠水し、大きな川に掛かる橋が危険なため、通行止めにあった。ルートを変えチャレンジしたが最終的にトリニダー行きを諦め、キューバ最大のビーチリゾート地バラデロに投宿した。
 聞けばこの大雨被害は30年ぶりのことらしく、橋が数か所で流され通行不能となっているとのこと。被害の詳細は判らないがこの後の予定は大幅に変更せざるを得ない状況となった。幸い依頼した日系の旅行社が親身になって日程・ホテル・レストラン等の変更をやってくれ、安心して成り行きを見守っている。
 明日には被害状況がもう少し詳しく把握できるとのことで、それを待って今後の行程をきめることにした。今回の旅行の段取りをしてくれたM氏、F氏、メキシコ・キューバを通してリーダーを務めてくれたY氏のご尽力でハプニングに会いながらも楽しい旅を全う出来そうで感謝!感謝!である。

※キューバは通信事情が極めて悪く、写真の添付は控えています。
2 大雨被害に遭遇その2
2 大雨被害に遭遇その2
 今回の大雨ではダムの氾濫・決壊や橋の破損・流失等が相次ぎ首都のハバナから中東部、具体的にはトリニダー以東は移動が不可能になった。陸路は勿論、空路も閉ざされてしまった。止む無く予定を変更しバラデロで2泊してハバナに引き返した。最終的にはハバナで4泊して予定通り6月3日出発で帰国する段取りが完了した。
 日程変更に際しては現地旅行社の献身的尽力で変更後のホテルやレストランの確保、観光の段取りに万全を期していただき、ハプニング続きながらも得難い経験をして旅を楽しめた。信頼できる現地旅行社を紹介下さったF氏・M氏に感謝したい。
 黒線は当初予定ルート 赤線は変更ルート
3 キューバの印象
 初めてキューバの土を踏んだ。首都ハバナの街をサーッとバスで通った印象は「やはり貧しいなぁ」である。
 キューバの顔である革命広場は数十万人が入れる広場を持ち、カストロ国家評議会議長の演説の場として有名である。広場の中心には1902年独立の立役者ホセ・マルティの像、チェ・ゲバラのモニュメントのある内務省、共産党本部、カミーロ(ゲバラ、カストロと並び革命の重要な役割を果たした)のモニュメントを掲げる情報通信省などの建物が広場を取り囲んで建っている。まさにキューバの心臓部だがそれ以外には僅かな建物が立っているだけの寂しい広場である。
 市内の建物は概して痛みが激しく、使用を放棄した建物も多く見受けられる。空港のホールの床面には穴ボコが随所に見え、このまま放置すると加速度的に痛みが拡がるのではないかと危惧する。
 5月は雨期でスコールに見舞われる。道路はあっという間に冠水し、排水施設の貧弱さを物語っている。
 以上が初日に革命広場を訪れ、バスの車窓から眺めるハバナ市内の第一印象である。

革命広場のホセ・マルティ像とその後ろの高い塔はホセ・マルティ記念博物館

革命広場に面して建つゲバラの肖像がある内務省とカミーロの肖像がある情報通信省
 
革命広場周辺の建物は意外と少ない
 
革命広場周辺ではクラシックなタクシーが客待ち
4 キューバの印象2
 キューバの主要産業は観光、ラム酒、葉巻との印象は強く残った。観光の目玉は何といっても革命戦士、中でもチェ・ゲバラは貴重な観光資源になっている。Tシャツや帽子、置物などは圧倒的にゲバラの肖像画が人気である。革命戦士の中で国民の人気NO1はカストロだが、彼の遺言により銅像や肖像画の制作は禁じられているとのこと。人気NO2のカミーロも何故か露出頻度は低い。勢い人気NO3のゲバラ一人が奮闘している結果となっている。
 ラム酒も有力な外貨獲得手段である。ラム酒の代表銘柄「ハバナ・クラブ」博物館はなかなか面白い。中でも1930年代の工場を再現したミニチュアは精巧なもので、観光客を十分楽しませる。
 もう一つの観光名物は1950年代のアメリカ車である。観光タクシーとして大活躍である。普通のタクシーと比べると5割から倍くらいの値段なので、実にいい商売に違いない。50年代のアメ車と言ってもそれは外観だけで中身は総入れ替えされているとのこと。当然でしょう。
 最後に観光の武器は何といっても音楽と踊りである。ラテン系にアフリカの血が混じり天性のリズム感、歌唱能力、踊りのセンスと言えようか。キューバの飲食産業は大なり小なりバンドが付いていて昼間から至る所で音楽が流れてくる。それらを聴きながらの食事も良し、カフェやバーも楽しい。夜は本格的なショウが随所で催され、今回も仲間の数人は連夜ショウ通いをしていた。貴重な観光資源である。値段も1,000円くらいから「トロピカーナ」の10,000円まである。
 
ゲバラの T シャツ、何故か焼肉のたれ???
 
ラム酒「ハバナクラブ」の商標とハバナクラブ博物館内にある1930 年代の精巧な工場模型

1 時間走って$30 
 
街で見かけたアメ車タクシー(写真は安楽氏撮影)
 
最高級キャバレー「トロピカーナ」のショウ
5 キューバのWi-Fi事情
 我々はホテルに着くと先ずスマホをWi-Fiにつなぐ作業をするがキューバでは事情が異なる。Wi-Fiが飛んでいるのはホテルのロビーや公園など限られた場所である。それも1兌換ペソ≒1US$のカードを買って、そこに記されているユーザーネームとパスワードを入力し初めて繋がる。有効期間は僅か1時間である。
 公園ではやったことがないので判らないがホテルロビーでは夕方と朝方は混んでなかなか思うように動かずイライラする。朝6時前とか夜11時以降になるとインターネット利用者は少なく、サクサクと動く。残念なのは部屋ではWi-Fiが届かず使えないことである。しかし「繋ぐ手段があるだけマシ」と思わないとこの国は旅行できない。
 でもSIMカードがないので街中での通訳機能が使えないし、LINEのグループメールによる連絡網が作れない。地図機能は事前にオフラインでダウンロードしておけば使えるので、この点問題は小さい。

Wi -Fi カード カード 上が表で下裏。 パスワードは爪擦って剥すと表れる。
6 ハバナ市街の荒廃
 ハバナの街を歩いていると建物の痛みが激しい。中には立派な建物でも廃墟同然のものも多い。
これらは文字通り廃墟になっているものもあるが、今でも人が住んでいるものもある。要は金がないからメンテが出来ないのだ。
 元を辿れば1959年のキューバ革命以前は金持ちたちが住んでいた建物だ。革命後金持ちたちはキューバを去り、そこへ公務員や貧しい人達が住み付いて「豪華な貧民窟」となったものだ。
 キューバには大した産業もなく、賃金も10,000円/月くらいでは建物を維持する資金はない。
ただ生活は2ドル/月で次のものが配給されるため、最低限の生活は何とか維持できる。
(パン、米、卵、油、魚、豆、スパゲッティ。子供には牛乳、ヨーグルトが別途支給される。)
 個人は勿論国家にも金はなく、立派な建物が次々と廃墟と化している。貧しいとはこうした現象を生み出すのだ。見ていて痛々しい。
但し物理的に住めなくなった住宅の住人には政府から住宅が支給されるとのこと、この面は社会主義国ならではのことだろう。

※写真は全てバスの車窓から撮ったもの。場所は新市街と旧市街を結ぶ幹線道路沿いで一等地である。写真にはないが立派にメンテされているビルの方が多いのも事実である。しかし目見当で全体の30%前後の建物はかなり傷んだままである。




 

 

7 アメリカ大使館
 オバマ時代に国交が回復し4年前にアメリカ大使館が出来た。しかしその後トランプ大統領の「オバマ否定」で険悪な関係となり昨年から全館員を引き上げ空き家となっている。その理由は「騒音で館員の健康維持が出来ない」ということらしい。
 確かに旧市街の繁華街はいかにもラテンらしい雰囲気で夜遅くまで音楽が流れ、それに合わせて踊る人たちもいて観光客を楽しませてくれる。しかしアメリカ大使館の
ある場所は新市街で旧市街の繁華街とはかなり離れている。アメリカがどの音を騒音と言っているのか不明ながら、低俗な言い掛かりとしか思えない。「大人気ない」とはトランプのためにあるのかも?
 トランプのオバマ憎しは観光にも多大な影響を与えている。マイアミ~ハバナ間は僅か188Kmしかないが、折角国交が回復したのに航空機でも船でもアメリカからは入れない。殆どの人はカナダ又はメキシコから入国する。
 影響はほかにも出ている。アメリカ系のクレジットカードは使えないし、現地通貨「兌換ペソ」への両替でも円からの交換とドルからの交換では5-6%円の方が有利だ。
アメリカ大使館、今は空き家状態




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