カナリア・モロッコ通信

2018年8月31日~9月4日
神原克収

目次

カナリア通信
1旅の概要 2 カナリア諸島について
3 フエルテベントゥーラ島 4 ランザローテ島
5 ランザローテ島(2) 6 テネリフェ島(1)
7 テネリフェ島(2) 8ラ・ゴメラ島
9 グラン・カナリア島 10 グラン・カナリア島(2)
モロッコ通信
11 旅の概要 12 モロッコの首都
13 シェフシャウエン(通称:シャウエン)



1旅の概要
 今回も前半カナリヤ諸島は日本在住クロアチア人のエレナさんにご案内いただき、後半はモロッコで現地旅行社のお世話になる。集合は 9/1 カナリヤ諸島の一つフエルテベントゥーラ島の空港に集合し、9/23 カサブランカで解散である。参加者は 18 名。
 移動はフエルテベントゥーラ島(3 泊)⇒船で隣のランザローテ島(3 泊)⇒飛行機で最大の島テネリフェ島(4 泊)⇔途中日帰りでラ・ゴメラ島へ船旅⇒最後にグランカナリヤ島に飛び(3 泊)、9/14 にモロッコのカサブランカに入る。




欧州主要空港からフエルトベントゥーラに入り、グランカナリアからモロッコへ飛ぶ
2 カナリア諸島について
 大西洋に浮かぶ7つの島で構成されるカナリア諸島はスペイン領で、モロッコから最短部で115Km、スペインのあるイベリア半島からは1,000Km以上離れている。
1 年間の降雨量が極端に少なく(島により異なるが年間120mm~370mm程度)、基本的には砂漠の島だが、高い山のある島では雲が水分を補給し緑で覆われた島もあり、どの島も個性的で観光に彩を添えている。
2 水は基本的には海水浄化で賄っているが、中にはテネリフェ島のように85%自然水で賄っている島もある。
3 月間平均気温は冬季:最高21-22℃・最低15-16℃、夏季:最高29-30℃・最低22-23℃と夏冬及び昼夜の気温差が少なく、「常春の島」と言われている。夏でも湿度が低く、ホテルでもエアコンのないところも多い。
4 雨が極端に少ないため農業は限られ、島の主要な産業は当然のことながら観光である。
5 1,000-2,300万年前の火山活動で生まれた島で様々な火山が見られる。ここ数百年は小噴火が7年に1回、大噴火が30年に1回起きていて、地元では次はどの島かと話題になっている。
6 国はスペインだが住民はスペイン人と言われることは好まず、カナリア人という人が多い。
 島から島への移動でも外国人はパスポート、カナリア人でもIDカードの提示が求められる。
3 フエルテベントゥーラ島
 この島の特徴は平たんな地形のため雨雲が留まることなく降雨量は 120mm/年と極端に少なく、見渡す限り砂漠である。その為農業が出来ないため人が定着せず、手つかずの自然(と言っても砂漠だが)が残されている。現在でも人口密度は 22 人/k㎡である。
 火山島であるにも関わらず海岸は綺麗な白砂が多い。340kmに及ぶ海岸線の 140Km は泳げるビーチとなっている。特に長さ 10Km に亘って続く砂丘は見事の一語である。
 この島ではヤギのチーズファーム、アロエのプランテーションなどに行ったが特段の面白さはなく、この島の魅力は何といっても見渡す限りの砂漠と見事な白砂の砂丘である。

(上)どこまでも砂漠が続く (下)島のチーズ工場で飼育されている動物たち


昼食風景とパエリア

 
砂丘で泳ぐ人達とサンドアート、砂の白・空と海の青さが際立つ

4 ランザローテ島
 この島はカナリア諸島で最も東に位置する。地肌は溶岩の暗黒色に覆われている。海のマ リンブルーと空のスカイブルーと好対照の美しい風景が広がる。
 この島は風が強く、風を防ぐための奇妙な光景に出くわす。写真をご覧下さい。何に見えます か?答えはブドウ畑。溶岩を積んで作った壁はそんなに高くないが砂の移動を抑え、苗木の成 長を風から守れるとのこと。100 年前に造られたものが現在もそのまま利用されている。
 この島は現在も火山活動中で、地熱を利用したデモがいくつか行われていた。絶景の観光 道路は 2 つに分けられている。熱のため一般車は通行不可で、耐熱の特殊タイヤ装着バスの み通行可能な道路と一般車も通れる道路である。前者では乗客は下車禁止となっている。
 この島はカナリア諸島を構成する 7 つの島の中でも特別美しい。理由はこの島出身の一人 の建築家の存在がある。詳しくは次回でご紹介したい。



島はゴツゴツした溶岩とサラっとした溶岩の 2 種類がある

 
地熱を利用して BBQ のデモが行われていた

 
地熱を利用して枯れ草を穴に入れ数秒間で燃え上がるデモもやっていた(写真は N 氏作成)

 
観光用ラクダタクシー、200 頭くらいいただろうか、壮観である。

 
島で食べたランチ(建物は全て白で統一されている)(写真は G 女史作成)

5 ランザローテ島(2)
 この島はほかの島に比べ特別美しい。その陰にはこの島出身の建築家セサール・マンリケの 貢献が大きい。彼はこの島の美しさと文化に魅せられ、生涯をこの島のために捧げた。
 この島の建物の壁は白で統一、窓枠の海側は青・山側は緑又は茶色で統一。高さは地 上 2 階までとし、雨水をためるため傾斜のある屋根は禁止、家ごとに地下タンクを義務付け 等々の規制を政治家を動かして実現した。
 更に火山溶岩しかない島の弱点を逆手に取りサボテン公園、リオ展望台、ハメオス・デル・ アグアなど島の自然に溶け込んだ施設を島の随所に造った。彼のアイデアとデザインセンスが いかんなく発揮され今や貴重な観光資源として島に大いに貢献している。

島内の家は全て白、山側の建物の窓枠は全て緑で統一されている


ハメオス・デル・アグア内部

 
ハメオス・デル・アグア内の音楽ホール

 
溶岩だらけの何もないところに造ったサボテン公園

 
サボテン公園には珍しい品種が沢山あり実に楽しい

 
サボテンバーガーも人気メユー、味も良かった

 
島のあちこちにみられるマンリキ作品

6 テネリフェ島(1)
 この島はカナリア諸島で最大の島である。今までに行ったフエルテベントゥーラ島とランザローテ島は砂漠のみであったが、この島にはふんだんな緑とカラカラの砂漠の両方が存在する。
 その原因は貿易風である。貿易風は高度 800~1,800mのところを流れている。前の 2 島は最も高いところがそれぞれ 800m、600mであり、湿気を含んだ貿易風はその上を通過するため雨が降らない。
 テネリフェ島は高度 3,700mのテイデ山を擁し、常時貿易風が運んでくる湿気の恩恵を享受している。その為高度 800~1,800m部分は豊かな緑、その上下部分は砂漠という奇妙な景 色 と な っ て い る 。 以 上 の 原 理 は 次 の 図 で ご 理 解 下 さ い 。

図の右 2 つの島は貿易風が頭の上を素通りするため砂漠となっている。一番高いテネリフェ島は中腹
(800-1,800m)のみがグリーンベルトでその上下は緑が少ない。

 
テイデ山に上る途中(800-1,800m地点)では見事な松林が続く


テイデ山に上る途中(800-1,800m地点)では見事な松林が続く

 

写真右上の三角の山がテイデ山の頂上。2,000mを超えると再び元の砂漠になる。

7 テネリフェ島(2)
 テネリフェ島からホエールウォッチングに出掛けた。風もなく穏やかで絶好のウォッチング日和である。港にはウォッチング用の船が多数係留されている。この日は船長も驚くほど多くのイルカやクジラが我々を出迎えてくれ、日ごろの行いの良さを証明してくれた。大きな船を借り切り、なんとも贅沢な一日ではあった。

出番を待つ船と貸し切りの船で寛ぐメンバー

 
多くのイルカやクジラが我々を歓迎してくれた

 
昼食は船上で飲み放題、食べ放題。食後は皆でダンス?


暫しの微睡みと仕上げはスイミング

8ラ・ゴメラ島
 ラ・ゴメラ島はテネリフェ島からフェリーで僅か1.5時間の距離であるが、大変特異な島である。小さな島にも拘らず 1,437mの高い山がある。その為平地は殆どなく全島深い渓谷に覆われていて、開発は殆ど進まず手つかずの自然が残っている。
 この島の火山は第 3 紀の 1,500 万年前に爆発したのみでその後 1 回も爆発していない。周辺は第4紀に爆発している為、この島のみ第三紀の照葉樹の原生林が現在も残っている。
※地球 46 億年の歴史を大きく分け、第 3 紀は 6,430 万年前~260 万年前、第 4 紀は 260 万年前~現在。詳しくお知りになりたい方は https://isabou.net/Convenience/tool/geology/index2.asp
 この島には植物のみでなく古い習慣が幾つか残っている。その一つが指笛を使った通信手段である。深い渓谷に覆われているため通行が極めて困難で指笛通信が発達したのである。指笛は3km程度なら通信可能とのこと。

ラ・ゴメラ島の模型、島が渓谷に覆われていることが良く判る


貴重な植物なのだろうが猫に小判

 
断崖絶壁に建つレストラン、テネリフェ島のテイデ山が見える。下は谷底から見上げたレストラン
(指笛通信実演の動画)
https://photos.google.com/photo/AF1QipMYwOxBJ5fHJWX0IAvwavG6qamdmSLwK
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9 グラン・カナリア島
 この島はカナリア州の首都ラスパルマスのある島である。この島の目玉は「コロンブスの家」であろう。コロンブスはアメリカ大陸発見の1492年を最初に計 4 回アメリカ大陸へ遠征していて、そのうち3回はこの島に寄港している(それ以外にラ・ゴメラ島にも3回寄港)。寄港の主たる目的は勿論物資の補給と乗組員の休養であるが、もっと重要な目的はある女性と会う為である。4回目の遠征で寄港しなかったのはその女性が結婚したため会えなくなったからである。
 以上はガイドの話であるが真偽のほどは定かではない。ネットで調べて見ると「コロンブスはこの女性との間に1子をもうけたが結婚はしなかった」と出ている。歴史の裏はいつも人間臭く面白い。
 コロンブスの家にはアメリカ大陸遠征時に使用した航海用具や資料が展示されていて興味深いが詳しくは割愛する。

コロンブスの肖像画


コロンブスの家の表札、コロンブスではなくコロンとなっている

 
4 回のアメリカ大陸遠征の航海図、毎回ルートが異なっている

 
コロンブスの家の中庭と当時の井戸

10 グラン・カナリア島(2)
 この島も変化に富んだ興味深い島である。この島は円錐形の形をしているが中央に 1,945mの山が聳え、北から流れる貿易風を遮ってしまう。その為島の南側は乾燥していて雨が殆ど降らない。この島の海水浴場の大半は南部に集中している理由である。
 ほかの島でいくつかの見事な砂丘を見てきたが、この島の南部にはどこにも引けを取らない見事な砂丘が広がっている。

朝の砂丘
砂がいかにサラサラか次の VTR でご確認下さい。
https://photos.google.com/photo/AF1QipNKcwwNzV8JtfW8wGAzW3e52KDaGrQsj
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一方中央の山の北側は豊かな緑に覆われている。植物園には珍しい植物が数多くあった
が、猫に小判で気の利いた報告が出来ないのが残念である。せめて面白いと記憶している数
点だけでもご覧下さい。



上:サボテンのようだがポインセチアの一種らしい。 下:ユニークな木で名前を聞いたが失念した。

 
上:なんとイチジクの木だそうだ 下:金のなる木と言うらしい

 最後にある日のランチをご覧いただいてカナリア通信を終えたいと思います。
次 回 よ り モ ロ ッ コ 通 信 を お 送 り し ま す 。



ジャガイモ、サラダ、イワシのから揚げ、イカリングどれも美味しい。牛肉もマズマズ美味しい。
(写真は N 氏撮影)


モロッコ 11 旅の概要
 カナリヤ諸島からカサブランカに飛び 9 泊 10 日のモロッコの旅が始まった。メンバーはエレナさんが離脱しロングステイクラブ会員の 18 名である。
 当初の予定では日本語ガイドが一人付き、全行程を案内してもらうことにしていた。しかし依頼した現地旅行社の和田社長(日本人女性)が参加者の年齢を見て「事故が起きたら大変」と急遽ボランティアで全行程同行してくれることになった。
 ガイドも素晴らしかったが和田社長は更にスーパーで、この 2 人を付けての旅行は贅沢そのもの(しかも和田社長は完全ボランティア)。特に和田社長のパワーと博識は素晴らしく、モロッコで取材するマスコミや政府関係者は殆ど彼女のお世話になるらしい。
 旅行後和田社長は「高齢で心配したが全くの杞憂であった」と述懐していたが、我々には実に有難い「杞憂」であった。

和田社長                      ガイドのファティマさん


グラン・カナリアから
カサブランカへ

 

モロッコ内での行程


12 モロッコの首都
 皆さんモロッコの首都はどこかご存知ですか?カサブランカと思っている人が多いと思うが答えは No、正解はラバトである。日本では映画でカサブランカが余りにも有名なためそう思う人が多い。
 1912年フランスはモロッコを保護国に納め、首都をそれまでのフェズからラバトに移した。理由はそれまでの首都フェズの治安が良くなかったかららしい。ガイドの話では「犬猿の仲のカサブランカとフェズが首都争いをし、共に主張を譲らずラバトに油揚げを攫われた」と言っていた。真偽のほどは定かではないが、つい「ウン、ある、ある」と頷いてしまった。
 今回は両都市とも駆け足での観光であったため十分観察することが出来なかったが、実に大雑把な印象は次の通り。
カサブランカ・・・日本で言えば大阪のような商業都市で活気はあるが街は汚いと感じた。
ラバト・・・こじんまりした綺麗な街で、何となくおしゃれで品の良さを感じた。
 
カサブランカの朝の街
 
カサブランカの朝


 カサブランカ庶民の朝食風景

ゴミが多い(カサブランカ)  

 
 
公園都市と言われるラバト

ラバトの街 


ムハンマド 5 世霊廟と同じ敷地内にあるハッサンの塔 
 
ラバトは公園が多い

13 シェフシャウエン(通称:シャウエン)
 シャウエンはモロッコの西北部、地中海まで40Km、人口35,000人程度の小さな町である。この小さな町に観光客が押し寄せる。理由は旧市街の建物が全てブルーに塗られているから。とてもメルヘンチックで愛らしい町だ。でもそれ以外に何もない。
 この町は1471年に建設され、1492年以降レコンキスタで追われたイスラム教徒がスペインから逃げ込んできて人口が急増した。以後20世紀前半までイスラム教徒の聖域として異教徒の立ち入りが禁止された。その為キリスト教の影響を受けず独特の雰囲気を醸し出している。
 旧市街はブルー一色で確かにメルヘンチックだ。でもそれ以外の特徴は何もなく、これだけのことで観光客を吸引出来るとは驚きだ。でもヨーロッパの赤い屋根、スペインアンダルシア地方の白い家など同じ色で統一された町並みは確かに綺麗だ。日本も個人の自由をある程度制限して、こうした基本コンセプトを明確にした町造りを進めてもらいたいものだ。

シャウエンの旧市街


メディナを散策

 
レストラン内部

 








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